ボスニアヘルツェゴビナで日本では見れない戦争の痕跡を観光してきた

ボスニアヘルツェゴビナのモスタルという町にやってきました。

しっかし、ボスニアヘルツェゴビナって早口言葉かなんかですか?

ってくらい読みにくい国名です。

ボスニアヘルツェゴビナってどんな国なのか調べてみると、2番目にボスニアヘルツェゴビナ紛争というWikiのページが出てきました。

ボスニアヘルツェゴビナ紛争とは

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦。単にボスニア紛争とも呼ばれる。

1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。
当時、同国には約430万人が住んでいたが、そのうち44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。
ボシュニャク人とクロアチア人が独立を推進したのに対し、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため、両者間の対立はしだいに深刻化。独立宣言の翌月には軍事衝突に発展した。

およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。

引用:Wiki

ということみたいです。

戦争というと、日本ではあまり実感できないことかもしれません。

でも、日本の自衛隊は戦地に行くこともあります。

もちろん戦ったりはしませんが、それでも鬱になって自殺する人も多いそうです。

 

もちろん平和が一番だと思いますが、ほんの少しでも僕も新しい戦争の歴史に触れてみたいと思います。

 

モスタルにはスナイパーの橋というのがあるそうです。

その橋を渡る人はみなスナイパーに射殺されたとか。

宿に到着したらウェルカムドリンクで酔いつぶれた

11時半ごろバスはモスタルに到着しました。

バスを降りたタイミングで偶然コトルで会ったこういちくんに再開しました。

宿まで案内してもらういます。

 

宿に着いたらいきなりボスニアの酒を飲まされた。

ラキとかいう酒らしいです。

しかもご飯まで出てきました。無料で!!

めちゃくちゃお腹空いてたのでモリモリ食べてガバガバ飲みました。

いきなりこの宿楽しい!!

このラキというお酒めちゃくちゃアルコール強くて、つい飲み過ぎて、昼間っからゲロはいてぶっ倒れてしまいました。

気付いたときは20時でした。

スナイパー橋と弾痕

ボスニアは色んな文化が混ざった国です。

教会のすぐ近くにでかいモスクがあったりします。

そしてこれがスナイパー橋です。

この橋を渡る人はみんなスナイパーに殺されたらしいです。

川の右側と左側で家族が分断されてしまった人もいたようです。

でも会いに行こうとするとスナイパーに打たれる。

橋の上で写真撮りまくりの中国人。

旧市街の石ボコボコの道がオシャレです。

ひげ書けばすっかり東欧のマネキン!

帰りに肉食って帰りました!

にんにくたっぷりの味付けでめっちゃうまかった!

でもこれってパンにはさんで食うもんやったんかな?

ファンキーな宿のおっちゃん

朝8時ごろオーナーが朝ごはんを用意してくれました。

いつものことやけどご機嫌さんです。

マッシュルームを揚げてる音が食欲をそそります。

そこに玉ねぎをぶち込んで卵でとじて完成。

油っこいかと思ったけどそうでもないな。

めっちゃうまい!

グー!!

朝昼飯付き、ベッドとシャワー、トイレも比較的きれい。

シャワールームの鍵がかからんけど(笑)

wifiはちょっと繋がりにくいです。

オーナーは気さくで面白い。

街は小さく穏やかやけど徒歩で観光地まで行けてスーパーやレストランもたくさんある。

これで1泊8.5ユーロ(約1300円)は沈没出来ます。

モスタルから紛争の中心地サラエボに行きます

金を払って宿を出ようと思ったらオーナーに引き止められた。

「夜に一緒におっぱい見に行こうぜ!」そう言って朝からビールを飲ませてくる。ビールうまい。

でもごめん。今日は次の街に行くよ。

 

次はボスニアヘルツェゴビナ紛争の中心地サラエボに行ってきます。

11時のバスに乗り3時間ほどで到着しました。

バスステーションにはwifiがあり、まずは居場所確認します。

そのまま夜にはセルビアのベオグラードまで行こうと思い、バスステーションでバスを確認するが夜行バスありませんでした・・・。

 

宿探しも兼ねて歩いて街に向かうことにします。

大きい通りに出て驚いた。

これ何かわかります?

弾痕ですよね。たぶん。

リアル過ぎる。怖い。

 

よく見ると古い建物にはだいたい痕が残っています。

動くものは全て殺されたこの通りの名前は”スナイパー通り”。

 

すれ違うおじさんもみんな戦争を経験したんだろうな。

今どう思ってるのか知りたいけど平和ボケした日本人が掛ける言葉が分からん。

 

異文化が混ざり合った国ボスニアの中心都市。サラエボ。

混ざり合ってるからこそ価値観のずれでケンカになるんだろうな。カップルが別れる理由か!

でも戦争もケンカも原因は価値観のずれってことが多いんじゃないかな。

振り上げた拳を引っ込める勇気があれば済む話だけど感情はそれを許してくれない。

 

あ、教会や。これはきれい。

そして空爆の跡。

おじさん達が公園で巨大なチェスしています。

平和が一番やな。

サラエボからセルビアのベオグラードに夜行バスで行けるやん!

疲れたので近くのカフェに入ってネット休憩!

ふと夜行バスが無いのか調べてみたらあった・・・。

 

俺が行った駅近くのバスステーションではなくて、中心地からだいぶ離れたセルビア人用のバスステーションがあり、そこに22時発のバスがあるそうです。

ボスニアとセルビア喧嘩してたでこんな離れたとこにバスステーションあるんやな。たぶん。

 

あるんなら行こう!

道を聞くが誰も分からんって言う。

そんなにマイナーなバスステーションなんかな?

警察に聞いたら「Lukavicaって街だけど、7キロほど離れてるよ。」

バスでの行き方まで丁寧に教えてくれました。

 

でもバス停が分からん!近くに歩いてたおじさんに聞くと目の前でした。

ただのボロい小屋の前で目印なんてないですね。分からんわ!

 

ボスニア人みんなめっちゃ親切や!

なんか俺今旅してるって感じしますね!笑

バスに揺られて30分ほどで終点に到着。

運転手に聞いて無事バスステーション到着しました!

 

さて、ネット情報は古かったからな。俺の求めてるバスはあるかな?

ドキドキしながら受付のおばさんに聞く。

おばさん「22時に出るわ」

 

よかった!あった!

300mほど歩いたとこにショッピングセンターがあったからそこで飯を食いながら待つことにします。

7マルク(約550円)でドでかいピザとビールを注文しました。

22時に時間通りにバスはきた。

明日の朝にはベオグラードか。

その次の日にはハンガリーやな。

ハンガリーまで行ったら少しゆっくりしよう。

まとめ

戦争の痕なんて、見たいからって理由で見るもんじゃないですね。

なんか精神的にずーんと来るものがありました。

気分転換に有名な観光地とか行きたい気分です。

でも、あとベオグラードだけは見ておかないとな。

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